2番じゃダメなんですか
フィギュアスケート女子。浅田真央選手は銀メダル、残念でした。このあたりの解説についてはMizumizuのライフスタイル・ブログが、参考になります。私の素人目にみても、キム・ヨナ選手の金と浅田選手の銀は、とりあえず納得しても(点数の差は疑問だが)、カナダのロシェット選手が、安藤選手や長洲選手を超えて銅メダルというのは、納得しがたいと思います。それもロシェット選手が安藤選手に大差を付けているのは、技術点ではなく、主観性が入りやすい「演技表現」「振り付け」「音楽の解釈」。は?どのような素人がみても、安藤選手のほうが感動的だったと思うのですが。誰もがそう感じたのではないでしょうか。それはそれとして、以前、民主党政権の事業仕分けで、「2番じゃダメなんですか」というツッコミがあったことを思い出してしまいました。やっぱり、2番より1番がいい、に決まっています。そういうことで、古い話題になりますけど、改めて「事業仕分けってなんだったんだろう」と思ったことを書いてみます。
国民が期待する事業仕分けとは、「目的の是非」を仕分けするものだったのでしょうか。そうではないと思います。枝野議員が、国立女性教育会館の論議の時に述べたように、必要なのは、「目的に実現に至る方法が適切かどうか」という議論だったはずです。
2月21日付朝日新聞に、長野五輪金メダリストの清水宏保氏が書いています。
政府の事業仕分けが行われ、スポーツ予算は削られる方向になった。全体的な削減は仕方がないとしても、仕分けの仕方は適切だろうか。(略)
バンクーバー五輪では、JOCの役員、メンバーが大挙して現地入りしている。予算は限られている。そのため、選手を手塩にかけて育てたコーチや、トレーナーがはじき出され、選手に快適な環境を提供できていない。お金の使い方が逆だろう。(「スポーツ後進国 日本」)
スポーツの振興にもっと国の予算をつけるべきだ、と考えている私でさえも、これを読むと、やっぱりまずいよ、と言いたくなります。問題にすべきはこういうコトなのです。スポーツ振興が善い悪いの議論ではないはずです。
国の政策となっている以上、殆どの事業は、目的には、それなりの正当性があります。地域産業活性化だったり、教育立て直しであったり、それこそスポーツ振興であったり。しかし、そういった目的のために予算がついていても、それが、利権とか既得権とか、天下り確保のための外郭団体迂回だったりとか、そういった理由で、税金が効率的に使われず無駄になっている事業が山のようにあるんじゃないかと国民は感じています。そういった実態が透明になれば、おのずと、「どう考えても非効率的だよね」という世論醸成ができていたはずと思います。
それを考えると、「2番じゃダメなんですか」という仕分け人の質問は、本当に愚問だったと思います。「1番を目指すべきか否か」という、おかしな方向に論議がいって国論を二分してしまいました。
「どのようにしたら効率的に1番になれますか」「その目的を実現するために無駄なところはありませんか」という質問であるべきでした。事業を担当する人たちこそが、その事業のことを最もよく理解している人たちなのです。彼らの中の改革派をできるだけ取り込むことなしに、高い目標を実現することなど、できはしません。国民の幸せを増やすことこそが目的なのであって、予算を増やすのも減らすのも、その手段にすぎません。しかし、残念ながら、事業仕分けそのものが目的になってしまったような印象が強いです。公開裁判と言われても仕方が無いでしょう。
事業を担当する人たちにとってみれば、彼らの仕事の目的そのものを否定されれば、全精力をあげて反対するのはわかりきったことです。担当者の中には、改革派も守旧派もいることでしょうが、一丸となって抵抗するでしょう。
国の当初予算を見ると、私の知っている分野だけでも、暮れの事業仕分けで廃止が決まった事業のいくつかは形を変えて、こっそりと復活しています。さもありなんと思います。
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