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2009.10.31

子ども手当の理念はどうか

マクロミルの調査によると、子ども手当の使いみちについて、65%の人が「貯金」と答えたとのことです。実際にお金を手にすると人間は気が大きくなるものですから、実際のところはわかりませんが、だとしても、好ましくない数字です。国債を発行して得たお金が、子ども手当をとおして金融機関の貯金となり、国債購入に充てられるという、単にぐるぐるまわって、金融機関を儲けさせているだけ、ということになりかねません。ということで、子ども手当について考えてみました。

 まず、子ども手当は、住民向けの補助金のようなものではないかと思われる方もいるかもしれませんが、違います。住民向けの補助金、たとえば、太陽光発電設備購入に対する補助を例にとると、実際に購入し、領収書等の提出がないと、補助金がもらえることはありません。マッサージチェアに変身していたというようなことはありえないのです。何に使われるのか分からない(検査のない)手当というのは、手当の名前は、受給資格を特定する口実にすぎず、結局は、お金をあげるだけのこと。消費に使われなければ、経済効果もありません。

 
 さて、政府の事業でかかる費用については、皆で分かち合って応分に負担するのが、国の原則です。基本は応益負担、しかし、実際には負担できない人も出てきますし、応能負担という考え方もありかなと思います(極端な累進課税でなければ)。
 
所得税の《扶養控除》というのも、その考えの一つで、子育てをしている人は経済的余裕に乏しいから、その分だけ負担を少なくしようとするものです。その意味では、所得税の子供の控除額は低すぎると思います。もっと広げるべきです。しかし、あくまで、それは、《政府の事業》の負担をどのように負担するかという話です。
 
 しかし、《子ども手当》は、まったく別のものです。これは、国民から税金を徴収しながら、それを政府としての事業に使うのでもなく、国民に配りなおすというものです。
 
 《応能負担》と《再分配》。この2つは、まったく違います。
《応能負担》というのは、例えるなら、家庭で社会人で働く子供が二人いる場合に「お兄ちゃんは給料が多いから家計にたくさん入れてね。弟は少なくていいよ」というものです。一方、《再分配》は、「お兄ちゃんのお金の一部を強制的に取り上げて、弟にあげる」というようなものです。
 《再配分》とは、機会の平等ではなく、結果の平等を志向する思想であり、「頑張った者が報われる」という自由社会の基本理念を踏みにじる考えです。
 頑張ったものが報われる社会と、弱者に優しい社会、は、決して相反するものではありません。古くはカーネギーから、最近ではビルゲイツに至るまで、経済的な満足を得た成功者は、必ず、次に社会に貢献することに満足を求めるようになります。人間はその本性からして、恨まれるより感謝されることに幸せを感ずるもので、築き上げた財産が使い切れないほど余っている場合に、最も自己満足できる使い道として、人から感謝されることに使いたくなるものです。そして、そうした経済的成功者は、効率的に目的を実現する能力が高いので、同じ金額であっても、官僚が配るより、よっぽど多くの満足を、困っている弱者に届けることが出来るのではないでしょうか。
 
 話しは、子ども手当から少しそれるのですが、理想的な福祉とは、困っている人の個別で特有な悩みに、できるだけきめ細やかに対応することであって、全体一律的な結果の平等を実現することではないと思います。
 
 子育てにお金がかかる特殊な事情があったとしても、たとえば、交通遺児の募金とか、難病手術費用のための募金とか、供出者の自発的な意志でおこなわれるべきものであって、強制的機械的にするものではないと思います。 政府のすべきは、そういった善意の寄付を税額控除するなりして、《民から民》のお金の流れを促したりすることであって、《民から官をとおして民へ》と再配分の裁量を官に委ねることではないと思います。官が間に入ることによって、「心の通う福祉」が「心の通わない福祉」になります。
 先にも書きましたが、メガ金持ちが福祉財団などを作り、プチ金持ちが寄付などでさらに支え、経済社会で成功実績をひっさげて引退した福祉家が運営するというような形のほうが、経済的成功者から累進課税という形で財産を取り上げ、政治家や官僚に使い道を委ねるよりも、よっぽど効率的です。
 
 そもそも、昔、金持ちが一部で貧乏人が多数であった時代の民主主義では、多数による決定は、弱者のための政治だったのです。しかし、現代のたいていの弱者は、少数派であり、多数決原理(民主主義)が、福祉の実現と結びつかなくなっています。
 
 話を戻して、それ以外の一般的な場合とは、保育所や学童保育が足りないとか、小学校の授業では不安で塾に通わせる必要があるとか、本来、政府が対応しなければならないのにできていないために、親に負担がかかっているものが大半です。政府がすべきは、《子育てに金がかかる社会》を《子育てに金がかからない社会》に作り替えることであって、子育てに金がかかるという状況を残したまま、金をばらまくから対処しなさい、はないのではないでしょうか。
 
実際のところ、現代の日本ほど、子育てにお金がかかる社会は異常ではないかと思います。
それを是正するのが、政府の仕事ではないでしょうか。
 
防犯のために、子供に携帯電話を持たせなければ安心が手に入らない社会が、豊かな社会ですか。
例えるなら、政府の役割は、子供に携帯電話を配ることですか。違うでしょう。そういう必要のない社会を作ることでしょう?それができていないから、しょうがなく、子供に携帯を持たさざるを得なくなっているのではないでしょうか。
国民がいくらお金を出しても、自らの手では解決できないことを解決するのが政府に期待する役割です。その責任を放棄して、お金をばらまいてほしくなんかありません。
 
昭和のころ、子供たちが、毎日、広い空き地で走り回って遊んでいたころは、お金のあるなしを気にすることもなかったでしょう。しかし、お金のかかるゲームソフトがなければ楽しめない子供たちが増えてくると、いつも、お金のあるなしを気にするようになります。
政府がするべきは、《収入の少ない人でもお金をかけずに豊かに生活できる国を作る》ことであって、それによって、収入の多い少ないにかかわらず同じ豊かさを体感することができるようというようなことです。実感としての貧富の差をなくすことです。けっして、《お金を配って、数字上の格差を解消する》ことではないと思います。

民主党は、「社会全体で子育てをするのだ」といいます。それは賛成です。しかし、その具体策が子ども手当とはなさけない。
「社会全体で」という前提に、社会全体の一体感が必要です。
《子育てに、あまり費用のかからない社会》、その具体策が例えば、《小学校に教員や設備を整備し、放課後に補習や進学コースや、夕方まで安全に遊び過ごせる環境を作ること》のようなものです。皆がばらばらに配られたお金を使うコスト高社会ではなく、リーズナブルな社会基盤を共有すること、民主党の政策には、そういう《どういう社会を作るのか》という部分がすっぽり抜け落ちています。「お金だけ配る」が解ですか。

もちろん、自公政権がよかったとは思っていません。新政権に期待したいから書いています。
 
理念の面で、子ども手当は、悪い政策だと考えます。
 
さて、ここから、私の超主観的暴論はエスカレートします。
 
 今、子育てに大きく投資すれば、将来、子どもたちが納税者に育ち、国の財政を支えてくれることでしょう。出生率の増加は、将来の税収増に直結します。ですから、子ども手当も、長い目で見れば、良い投資になるかもしれません。
 と、うまくいけばいいのですが、それは、子どもたちが勤勉な労働者に育った場合のことです。怠け者で毎日ぶらぶら遊び歩いているようなタックスイーターに育った場合には、逆効果になります。つまり、なんでもいいから、出生率が上がればいいというわけではありません。
 
 じゃあ、どういう子どもが勤勉な大人に育ち、どういう子どもが怠惰な大人に育つのでしょう。
 それは単純で、子どもは親の背中を見て育ちます。親が子供にとって最大の教師です(反面教師の場合もなかにはありますが、これは一般化モデルですから)。
 勤勉ママに育てられた子供は、勤勉な大人に育つ可能性が高く、
 怠惰ママに育てられた子供は、怠惰な大人に育つ可能性が高いと思われます。
 だとすれば、勤勉ママを助ける政策こそが、効果的です。では、勤勉ママと怠惰ママの違いの特徴は何なのでしょうか。
 
 現代社会、電化その他により、家事の省力化は進む一方です。勤勉ママは、そこから生み出された時間を何に使うでしょうか。普通に考えて、社会とつながっていたい、できることなら働きたい、と考える傾向が強いと想像できます。
 逆に怠惰ママは、生活苦などから働かざるを得なくなっているけど、できることなら遊び呆けたい、と考えています。
 つまり、できることなら仕事に就きたいと考えるママが勤勉ママであり、できることなら仕事をやめたいと考えるママが怠惰ママです。(←決めつけですみませんが、ステロタイプ化しないと話が進みません)   
 
  だとすれば、勤勉ママに届き、怠惰ママには届かなくて済む政策とは、就労支援ではないかと考えます。
 子供を持つ母親の就労を妨げている障害を取り除く政策、そういう面での社会整備が、もっとも投資効果が高いのではないでしょうか。
 
 
 

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