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2007.05.19

中国社会への投資

 日本史を代表する偉人を3名選べと言われたら、私は、【古代代表】聖徳太子、【中世代表】源頼朝、【近代代表】西郷隆盛、を選びます。今回は、源頼朝の話題から。

 源頼朝とは、言わずをしれた「封建時代を始めた人」です。「封建時代」とは?
 
 大昔、「《義務》とは、権力者に押し付けられるもの」でした。逆に、「今の日本人は、自分の《権利》だけを主張して」とよく言われます。その言葉の裏には、《権利》と《義務》は、表裏一体のもの、という当然の前提があるわけですが、それは、当然の前提なのでしょうか。いや、かなりユニークな考えかたですね。
 
 封建社会とは、「縦の契約社会」のことです。
 上の人から、下の人に与えられる保護(本領安堵や新恩)を御恩といい、(御恩は戦功や諸役の労など)奉仕に対する恩賞として与えられたもの。封建社会こそが、《権利》と《義務》が一対という「契約社会」の始まりですね。
 経済分野に限れば、「契約」という概念は、世界中でみられました。しかし、社会全般における「契約社会」を何百年にわたって積み重ねてきたのは、西洋のほか、東洋では日本だけだったのです。中国や朝鮮には、そういった意味での「封建社会」は、存在しませんでした。「封建時代」を経験しない国では、社会全般にわたっての「契約」という概念の浸透はありませんでした。
 
 「縦の契約関係」を身につけた社会にとって、「横の契約関係」に移行するのは、それほど難しいことではありませんでした。「封建時代は、市民社会の母」だったのです。
 
 権利と義務が一対であることを当然として受け入れている社会が、「契約社会」だと思います。その浸透を計るバロメーターが、「自治意識」ではないでしょうか。
 「公民権」というと、なにか、西洋から輸入された概念のような感じがしますが、江戸時代の町民などは、まさに、公民としての自覚を持ち、その一対のものとして、自発的に《義務》を勤めたのだろうと思います。それは、契約以前社会において、権力者から強制された「嫌いや」のもの、とは、違っていたはずです。
 
 「大江戸ボランティア事情(石川英輔・田中優子著)」は、このあたりの実例が豊富で、目から鱗の本ですが、その序章から、
 

 みんながボランテイアだった時代は、ボランティアであることは人間であることと同じ意味だったから、そのことを表現するための特別な用語はなかった。わざわざ特別な言葉を使う必要も意味もなかったのである。
 江戸時代にさかのぼれば、社会のボランティア構造はさらに徹底していて、現在なら税金から給料をもらっている人が処理している公的な仕事の大部分は、庶民のボランティアの仕事といっていいほどだった。(P16) 

 
 徳川幕府は安上がりの政府でした。役人(現代の公務員)数が多い百万都市の江戸でさえ、与力(管理職)50人、同心240人で、行政、警察、裁判、消防、を担っていました。もちろん、この人数で出来るはずがなく、これらの大半は、実際には、町自治でおこなっていたのです。
 権力者が、目を光らせて管理しつづけなければ、治安が悪化していった隣国の歴史とは、大きな違いです。
 
 私の知人で、某県の青少年担当の人から聞いた話です。
 そこでは、外郭団体を通して、日中交流のために、大学生を、中国の家庭にホームステイする活動をしていたそうです。しかし、数年で、中止になりました。その理由は、参加した大学生の多くが「中国嫌い」になって帰ってきて、本来の目的とかけ離れてしまったからです。もちろん、対日感情とか、そういう類いの理由ではありません。ホームステイを受け入れるぐらいですから、中国の家庭は、かなり友好的な家庭を選別しています。日本の大学生が指摘したのは、例えば《自分の家はきれいに掃除するのに、ゴミを窓から道に捨てて平気、に象徴される「公共心」のなさ》なのだそうです。
 具体的には、支障があるので書きませんけど、いくら、現代の日本が乱れてきているとはいえ、程度がかなり違います。
 
 「税金を払っているのだから、役所がすればいい」という住民と、
 「仕事は給料をもらっている分だけすればいい」という従業員と、
 日本でも、こういったことが増えてきてはいますが、まだまだ、自分の所属体への帰属感を大切にし、お金以外の部分で満足を得ている人は多いです。いっけん、「損」に思えるけど、結局は、お互いにメリットがあり、リーズナブルな社会を作っていると思います。
 契約というのは、何でもかんでも文章にし、それを縦に権利だけを主張する、あるいは、義務を履行せよと迫る、ということではないと思います。権利と義務の関係を暗黙に了解し、お互いにとって、Win-Winの関係を築くことが理想像ではないでしょうか。「契約」とは、当然、お互いが履行するという土壌、法への信頼、ひいては互いの信頼関係がなければ成立しません。
 
 「日本的風土」といえば、どちらかといえば、遅れたマイナスイメージでしたが、それがこれまでの日本の強さだったのではないでしょうか。
  
 中国は今、高度成長期であり、日本の数十年前と一緒だ。というのは、違うと思います。日本社会には、源頼朝以来800年の契約社会としての蓄積があり、中国や韓国には、ない。
 人件費の安さに惹かれて、日本企業が、どんどんと中国へ進出していきました。そして、最近は、国内回帰の流れが少しずつ出てきています。人件費だけは安くとも、日本社会ではあり得ないコストがかかってくることに気がついたのではないか。おそらく、日本社会は、(中国などに比べて)社会維持コストが、かなりリーズナブルなのではないでしょうか。
 
 個々人の能力を見ると、中国人が、日本人より、劣っているということはない、と思います。しかし、
 
 私は、中国や韓国が、このまま成長して、先進国として日本と肩を並べるのは、難しいと思います(日本のほうが落ちていって、肩を並べることはあっても)。
 
 以上は、中国への投資について書いたもので、中国株についてのことではありません。
 
 

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コメント

私もこの頃中国は世界のトップクラスには入れないような気がします。
パクリは新興国の通る道だからだと思っていましたが、質が悪すぎますね。
私の友達の中国人の方はかなりいい人なので、かなり好意的に見ていたと思うのですがそれでも目に余るものがありますね。

同感です。今まで蓄積してきた本当の意味での
「国力」というものがまだ中国には無いように思います。

弾丸列車「1か月検診」、備品持ち去られボロボロ―河南省鄭州市
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070518-00000013-rcdc-cn

笑っちゃいますね

私も留学生や、現地の知り合いなどいますが、
公共性のなさは痛感しますね。
知り合いなどは悪いやつでないのは確かなのですが、
自らと直接関係している交流関係などは大事にするけど、
間接的なものなどにはあまり関心を示さないというか。

あと、現地の知り合いに著作権の話をしたら、
著作権?なにそれ?って聞き返されました。
バイドゥがMP3をダウンロードし放題にしていたときのことですが。

いつも楽しく拝読しています。今回は少々暴論ではないかと思い、はじめて投稿します。管理人さんが嫌韓・嫌中の薄っぺらいネット右翼と同類だとは思いませんが、今回の議論は、最初に中国否定ありきのものだと思います。

中国にもはるか紀元前のかなたから「封建制」はありました(西欧のそれとは若干性格が異なりますが)し、日本の封建制度と西欧の封建制度を同一視できない(あるいは、日本の制度をそもそも「封建制」と呼べるのかどうかについても議論がある)ことは、高校世界史レベルの常識です。また、西欧の近代市民社会・資本主義社会が、封建的諸特権の排除を目指した長い闘いの後にようやく生まれてきたものだということも歴史の定石です。西欧の封建制度は、近代資本主義にとっては足枷だったわけです(フランスではアンシャン・レジームなんていわれていました)。

私は、中華料理は大好きですし、大学で知り合った公共精神あふれる(時として「あふれすぎ」のきらいすらある)勤勉な中国人留学生に対する敬意は持っています(どの留学生も、普通の日本人学生とは比べ物にならないほど学業に熱心で、「国のために力になりたい」っていう熱意にあふれていますよ)が、中国という国自体は嫌いです。でもだからといって、「封建時代を経験していないので、西欧化に成功した輝かしい大日本国に中国ごときが追いつくことは不可能」なんていう乱暴きわまる議論に同意はできません。明治維新時代の日本だって、多かれ少なかれ似たような状況だったと思いますし、「欧米化」することがなぜそれほど無条件に肯定されるべきことなのかもよくわかりません。

また、資本主義の起源を、キリスト教・プロテスタンティズムの禁欲精神に求める有力な見解がありますが、その観点から、「キリスト教精神の根付いていない日本には本当の意味での資本主義は導入できない」なんていう運命決定論があったとして、そんな乱暴な議論に同意できますか?また、日本には近代市民革命がありませんから、その観点から19世紀の西欧市民社会にすら到達できていない後進国・日本という位置づけを行い(もっともこの位置づけ方には一理ありますが・・苦笑)、「そもそもそのような後進国が、西欧市民社会に到達することはできない」なんていう運命決定論に同意できるでしょうか?

むろん個人のブログですから自由に書きたいことを書けばよいといわれればそれまでですが、今回の議論にはちょっと同意できないので、つい投稿してしまいました。長文ごめんなさい。

 papiさん、みなさん、こんにちわ。
 コメントありがとうございます。さて、
 
 >最初に中国否定ありきのものだと思います。
 
 そういう意図はなかったのですが、1つの投稿を書くときに、あれこれ賛否双方を書くと、結局、何が言いたいのか、わからなくなってしまうので、どうしても一方的というか端的に書いてしまいます。そのへんはご容赦ください。
 
 私は、NHKの特集などで、中国の工場で、十代の女子工員が、目標をもって働いているのを観ると、感心もし、心情として応援したいな、という気持になります。「日本の若い女も、少しは爪のあかでも飲んだらどうだ」とも思います。
 
 が、それは、
 「個々の中国人」と「中国社会」
 「個々の日本人」と「日本社会」
 の前者(個人)のことで、本稿で書いたのは後者(社会)のことです。

>「欧米化」することがなぜそれほど無条件に肯定されるべきことなのか

 どちらかというと、古き日本の良さを取り上げて、欧米化を批判した文章のつもりでした。

 他にも、papiさんと「封建時代」の認識などで違いがありますが、それを書いても脱線しますし、私が本稿で述べた中心でもないです。
 私が言いたかったのは、一言で言うと「経営のカタチ」を生み出す「社会」について。
 
 「日本的経営」には批判もありますが、それなりに成果をあげてきたことは事実です。それは、長い歴史に育まれた「日本社会」から、生まれたものです。日本人の多くは、なんだかんだ不満は言っても、日本的な家族的経営が好きで、そこで満足なのです。(←私自身も、異論の部分もありますが、とにかく、1つの観点をぴしっと書かないと、話が進みませんから)
 「米国式経営」。それもまあ、いいとします。
 「中国式経営」。それはどのようなものか。そこで働く人にとって、どうなのか。今、中国で成功している企業の多くは、良くて、「輸入された経営」をしているように感じます。本稿のテーマは、そこです。
 もちろん、私の知らないことも、あるかもしれません。いろいろ教えてください。

追)ここで書いている経営とは、経営者だけのことではないです。

こちらこそいきなり長文のコメントをつけて、失礼しました。私は中国の内情に詳しいわけではありませんし、経営の知識があるわけでもありません。ただ、ネットで繁殖を続けている薄っぺらい嫌中・嫌韓言説とおめでたい「日本」称揚言説には本当に辟易していますので、いつも頷きながら読んでいた「ゆきをん」さんのブログにまでその気配が・・と思い(もちろんネット右翼連中とは違い中身のある方だと承知しながらも)つい投稿してしまった次第です。勝手な話ですみません。

「日本式経営」については、私には今更・・という感がしないでもないですが、かつてうまく機能していた時期があったことは認めます。ただ、今の情勢で再びそういう言説を持ち出すことは、会社への滅私奉公を正当化するような文脈で使われないかと少し心配です。私はどちらかといえば、日本のサラリーマン・労働者は、権利主張が弱すぎるという問題意識ですので、ゆきをんさんとは対照的です。「仕事人間」を否定するつもりはありません(私も完全に「仕事人間」ですから)。ただ、すべての労働者に「仕事人間」となることを強要するような社会システムは人間を不幸にするだけだと考えています。むろんこれはひとつの考え方に過ぎませんが。

ついでに(また話を逸らしてもし分けないです)言うと、「日本的」という時には、儒教道徳が念頭に置かれていることが多いと思いますが、儒教道徳って思い切り中国起源のものですよね。江戸時代の公定学問は中国の朱子学でしたし、聖徳太子の時代から日本は伝統的に中国をお手本にしてきたわけです。「日本的」とは少なからず「中国的」なものでもあるわけで、明治以降自分の似姿としての清国を侮蔑の対象とし、西洋化に突き進んできたわけですが、その一方で天皇は外交文書で「皇帝」を名乗りましたし、教育勅語等の戦時動員体制の中に中国の皇帝制度や儒教的言説をふんだんに取り入れもしたわけで、やはり中国はある意味で日本の模範であり続けたわけです。日本と中国の関係は非常に入り組んでいるわけで、「日本的」「中国的」と単純に割り切ることはできません。

逆に、今日キリスト教は西洋的なものと思われていますが、その起源は中東ですから、もともとオリエント(東洋)のものです。西洋のローマ帝国では、キリスト教は当初弾圧の対象だったわけです(暴君ネロの弾圧が有名)。西洋はそれを長い時間をかけて自らのものとしてきたわけで、「西洋的」なるものが太古の昔から確固たるものとしてあったわけでもありません。そして、「契約」という観念は、このキリスト教神学を起源とする(神と人間の「契約」)するもので、封建契約はそれが世俗化されたものと理解できます。この意味では、異教徒である日本人には、本来の意味での契約観念はなかなか根付かず、労使関係でも権利主張ができない、なんていう議論を立てたりできるかもしれません(冗談です・笑)。

他にも、桜や富士山など、今日「日本的なるもの」の代名詞とされるようなものへの愛着も、明治政府が国民統合のために意図的に創り出し奨励したものであることはつとに指摘されているところですし、あまり大上段から「歴史がない」とか「文化がない」といった決め付けで社会システムを分析するのは、説得力が薄く、生産性もないように思います。運命決定論ではなく、もっとザッハリッヒに、経営システムや社会システムの問題点を指摘し、改善の方途を示すという議論で十分なのではないかと思います。

話を戻すと、今の中国社会はあらゆる面で過渡期にあるのでしょう。それをすでに成熟(?)した日本社会と同列に比較するのは少々酷ではないでしょうか。たとえ戦争しようが何をしようが、日本は未来永劫「中国の隣国である」ということをやめることはできないわけですから、いたずらに拒絶したり、いたずらに迎合したりすることなく、隣人として経過を見守りつつ、必要なら西洋化の先輩(むろん完全に西洋化すべきというつもりはありませんが、契約社会も市民社会も完全に西洋起源のものですから、今更それを否定することは非現実的です)として助力し、かつ、ビジネスチャンスがあらばしっかりいただく、といった感じでお互いに共存していく、そういう大人の関係を目指すべきではないでしょうか。私はそのように考えています。またまた長文ごめんなさい。

 コメントありがとうございます。
 
 私が、こうして快適な生活をしているのは、原始時代に未開の地(日本列島)を少しずつ開拓していった過去の日本人の祖先のおかげ(少し大げさ?)ですので、彼らへの感謝を込めて「日本に生まれて良かった」と考えたり表明したりするのは、自然のことと思います。
 
 その一方で、中国の人たちには「中国は世界一良い国だ。中国に生まれて幸せだ」と思ってもらいたいです。
 そこには優劣はないです。
 
 しかし、中国へ投資するか、日本へ投資するか、それを決めるためには優劣をつけなければならないのであり、右も左もありません。
 その基準は、《グローバル経済競争で、強いのか》という物差しです。papiさんの視点は興味深いですし、コメントしたくもありますが、話が拡散しますし、この物差しだけで以下、書きます。
 
 昭和の高度成長期、日本は「安さ」を武器にしていました。しかし、円高になり、1ドル360円から100円になっても、やっぱり、日本企業は強かったのです。世界の人たちは《価格競争力》だけではない別のもの、に強さを見いだそうとしたのであり、それが《日本的経営》ですね。
 現代中国。「安さ」を失っても、中国企業は強いのでしょうか。
 
 もし、そうなっても、中国企業は強いのなら、その理由を(投資決定前に)私は知りたいのですが、そうでないなら、
 《日本企業》と《中国企業》の違いはどこからくるのか。それは、歴史を重ねてリーズナブルな社会を創り上げてきた日本人の知恵が《日本的経営》に注がれているのかな、というのではないか、と私は思っています。
 
 日本では、セキュリティ製品は、なかなか売れません。そういうところにコストをかける必要性が低いからです。
 日本企業で、わざわざ、職務分掌を細部まで「契約条項」に決めなくてもすむのは、いちいち職務指示せずとも、各人が「気配り的に」自分の職務分掌を超えて補いあおうとするからでしょう。
 
 その弊害もありますが、ここで、その「日本的なもの」に対する良い悪いは論ずる意図はないです。ただ、そうした日本的なものが、見えない「コスト減」になっていて、グローバル経済競争に当たっての武器になっていることだけを、私は感じていましたので、本稿としました。
 
 私自身のことを書けば、多くの人と同様に、「欧米を理想化し、そこから日本を見下して批判する」と「日本的経営につかっている上司や先輩への批判」を同一化したところから社会人生活をスタートし、すこしずつ、上司や先輩の偉さがわかってきて、それと並行して日本的なものの《見直し》過程にあります。
 日本的なものへの「情」は、彼ら(もっと突き詰めれば過去の日本人)から、もっと見習うことがあるのではないか、という気持から生まれてくるものであって、他者を排除する道具ではないです。
 
 
 

興味深く拝見させて頂きました。

最近読んだ「V字回復の経営」という本と内容が重なる部分が多く、勉強になります。

日本的経営は欧米人には絶対真似のできない強みである、ということだったので、悪い部分は修正しつつも洗練された日本的経営を日本企業には続けて欲しいな、と思います。

中国企業の強さって安さ以外に何があるんでしょうね???

>日本的なものへの「情」は、彼ら(もっと突き詰めれば過去の日本人)から、もっと見習うことがあるのではないか、という気持から生まれてくるものであって、他者を排除する道具ではないです。

ゆきをんさんのおっしゃろうとしていること、よくわかります。とても健全な見解だと思います(偉そうに聞こえたらごめんなさい)。私も今仕事の都合で外国にいるとはいえ、日本へのコミットメントは強いです。そうであるがゆえに、「美しい国」とか「品格」とか意味のない美辞麗句を並べ立てている一部の勘違いした人たちやそういう薄っぺらい人たちに喝采を送っているおめでたい連中に一層腹が立つのかもしれません。でも、ゆきをんさんはそういう連中とはまったく異なると改めて納得しました。たびたびの丁寧なご返答に感謝いたします。

中国企業については、市場規模が桁違いであることに加えて、4000年の歴史(日本はいくらがんばっても2000年ちょい)をもつ中国の懐の深さは尋常ではありませんから、西洋の物マネで終わるとは到底思えません(21世紀は中国の世紀になるかも知れません)が、私も中国への投資については、それほどあせる必要はないのかなと思います。おそらく、今は彼ら自身手探り状態でしょうし、まだまだ過渡期にあるわけですから、ある程度強さというか方向性が明確になってきてからでも遅くはないのではないでしょうか。維新時代の日本の混乱を考えれば我々も偉そうなことは言えないと思います。しかし、中国人は教養レベルも勤勉さも申し分ないですから、私の見解としては、到底このままで終わるとは思えません(私は、日本の強みは、今も昔も国民全体の教養レベルの高さだと思っています。国民の半数以上が大学に進学するわけですし。これは欧米の水準の中でもかなり高い部類だと思います。今の途上国で近代化がなかなかうまく行かないのは、国民の教養レベルに起因していることが多いという報告をよく聞きます。教育は一朝一夕では確立できない最重要のインフラだと考えています。もっとも、最近のわが国はこの貴重なインフラの破壊に余念がないようですが・・)。

こっちに帰化している中国人と話すこともありますが、「ヨーロッパ社会は冷たい」という話をよく聞きます。人々は皆親切でにこやかに挨拶しあうのですが、個人主義がかなりの程度徹底していますから、集団主義というか、情のつながりを重視する我々アジア人からすると、表面上のフレンドリーさとは裏腹に、どこかよそよそしい感じを受けるのでしょう(私も部分的に同意できます)。でもこの点はゆきをんさんもおっしゃっているとおり、よい悪いの問題ではなく、それぞれの特徴をそれとして受け入れて強みに変えればよいのだと思います。

瑣末な点ですが、「日本」とか「中国」という意識がはっきりしてくるのは、明治以降の近代においてですから、明治以降の地理区分を古代に投影することには少し慎重であるべきかと思います。江戸時代においてすら、たとえば今の北海道にいたアイヌの人々に、「日本人」なんていう自己意識があったとは思えません。また、原始時代に今日の「日本」の地域にいた人たち(彼らは「日本人」という自己意識を持ったことは一度もないでしょうけど)は、大部分が今の「中国」「朝鮮」の地域にいた人たち(彼らも「中国人」「朝鮮人」という自己意識はなかったでしょう)で、祖先は共通ですし、歴史的にもつながりが深いわけですから、日本と中国(中国が今の意味で「中国」と名のりだしたのは、どう長く見積もってもせいぜい150年前のことにすぎません)には共通点の方が多いのではないかと個人的には思っています。私としては、「日本」人にできたことが「中国」人にできない、とは思いにくいです。むろんこれはひとつの見方にすぎませんが。またまたまた長くなってしまってすみません。私ばっかりあんまりスペースをとりすぎるのは申し訳ないので、ひとまずこれでやめておこうと思います。

 AKIさん、
 papiさん、こんにちわ。
 
>「日本」人にできたことが「中国」人にできない、とは思いにくいです。
 
 個人に焦点を当てれば、賛同しますが、
 「日本社会」と「中国社会」に言葉を換えると違うと思います。
 
 また、別稿で取り上げることにします。

H株のテンバガー銘柄をいつ売るかタイミングを計っています。

中国に否定的な人達が中国、H株を買いだした時が天井と考えて投資をしています。

マナーとか国民性はともかく、社会主義が資本主義になるときのパワーはすごいですよ。なんせ収入の40%近くを投資・貯蓄しますから。

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