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2006.08.11

「私はいかにして日本信徒となったか」呉善花

 韓国人との間で感情の行き違いになった人は多いと思います。

「日本では『親しき仲にも礼儀あり』を重んじるが、韓国では逆に『親しき仲には礼儀なし』を重んじる。(略)韓国では、仲のいい間柄、家族同様の間柄には、距離があってはいけない。それはとても失礼なことなのだ。P42」

 

 「また、日本人は『友だちに迷惑はかけられない』といういい方をよくする。
 (略)相手に負担をかけることを、極力避けようとするのだ。これは、韓国の友だち関係とはまったく反対だといってよい。
 日本にいて私がもっとも辛かったのは、この友だち関係のあり方の違いだった。P47」

 日本での美徳が、韓国では悪徳です。
 生まれ育った、文化が違えば、違うのです。

 もう一つ。
 「経済的に困っている親戚なり知人がいた場合、韓国人ならば、目の前でパッとあるだけのお金を渡すなりして助ける。しかし、日本人は、それをしない。そればかりか、お金をあげることに罪悪感さえ感じる人が多いようだ。
 これも、当時の私には理解できないだけでなく、許しがたいことに思えた。
 日本人の説明によると、人を経済的に助けてあげようとすれば、その人の上に立って施しを与えることになり、失礼に当たる場合があるという。
 およそ、理解を絶していた。P58」

 日本風がいいとか、韓国風がいいとか、どちらとも言えないと思います。しかし、私は、日本人であり、日本風があっているということを、強く感じます。

 著者が、在日16年の体験から、徐々に日本社会や日本人の心に入り込んでいく体験をありのままの観察として書いた本です。日本人と韓国人は、同じではありません。違うということを認めて、初めて相互理解が生まれるということが、わかります。かなり、おすすめです。

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