「毛沢東秘録」産經新聞『毛沢東秘録』取材班
共産主義が、いかに怖い思想かが、非常によくわかります。
毛沢東時代の中国とは、もっとも共産主義らしい共産主義が実践された時代だと思います。
青二才の学生が、平然と国家主席を批評し、国家主席が自己批判しなければならない社会。日常生活よりも革命が優先される社会。ほんの30年ほど前、日本の知識人たちは、この中国の社会を、絶賛していたのです。
いつの時代も、若者の主張には、それなりの理由があります。しかし、経験の伴わない正論は、しょせん、机上の正論に過ぎません。耳を傾けるべき部分はあるでしょう。しかし、毛沢東は『造反有理』(反抗するにはわけがある)という合い言葉、のもと、若者の反抗を、国家の政策の上位に置いてしまったのです。若者は、好き勝手、反抗し放題、国家の要人は、それに対して、いちいち謝罪し続けねばならず、国の運営は滞ってしまったのでした。
国家主席(中国で一番偉い人、のはず)の劉少奇氏も、若者にぼこぼこに殴られ死にました。しかし、その若者たちは、罪に問われることはありませんでした。
当然のことながら、文化大革命の期間、国家の運営は停滞し、2000万人が餓死したと言われています。
毛沢東の思想は、カンボジアのポルポト派を初め、各国に影響を与えていきます
« 「すべては一杯のコーヒーから」松田公太 | トップページ | 「新しい「中世」〜21世紀の世界システム」田中明彦 »